エンディングノートなんて書きたくない! 後編

エンディングノートは「情報をシェアするもの」

前編の最後でも述べましたが、エンディングノートは先立つ方のためにあるのではなく、残された方のためにあるともいえます。幸いエンディングノートは歴史が浅く、その立ち位置や有効的な利用方法が確立されているわけではありませんので、エンディングノートを家族間の情報をシェアする「連絡帳」であったり「引継書」と考えるとよさそうです。

本来、延命治療の選択も葬儀も自分の事なのですから自分が手配すればいいはず。とはいえ、現実的に無理なので自分の希望を誰かに引き継いでやってもらう。そのためにエンディングノートを連絡帳や引継書のイメージで利用するという発想です。
 
ただ、ここで1つ大きな壁にぶち当たることになります。私は元サラリーマンで毎年のように異動になりましたが、いいなぁと思う引継書に出会ったことがありません。引継書というよりは業務の一覧表といった感じでした。そのため、業務をこなすためには一から調べなければなりませんでした。ですから、その時によく思いました「やり方まで書いておいてくれればいいのに・・・」と。つまり、希望だけ書かれているエンディングノートではいい引き継ぎが出来ないということです。
 


書かぬなら一緒に書こう!

エンディングノートを書かない理由として「すぐには使いそうにない」「考えると暗い気持ちになる」というものがあります。前編でも触れましたが、一般的なエンディングノートの項目を並べてみます。
 
◯ 自分の情報(自分の記憶、住民票、戸籍謄本など)
◯ 親族、友人の情報(パソコンにある住所録、携帯にある電話帳など)
◯ 資産、財産の情報(登記証、銀行の通帳など)
◯ 各資格証の情報(年金手帳、各保険証など)
◯ 各契約の情報(携帯の契約書など)
◯ 介護、治療の情報(自分の記憶、お薬手帳など)
◇ 葬儀、お墓の情報
◇ 相続の情報
 
項目だけでいえば、生きているときにも必要な情報がほとんどです。しかも、ほとんど何らかの形で出来ているものを集約するだけなのです。ところが、ほとんどのエンディングノートがこれをもう1度手書きすることになるため「面倒だなぁ」と思わせる仕組みになっています。
 
そこで、下図のように各情報が見られるような仕組みにするといいのでは?と考えています。

 
 
また、“散らかっている情報をひとまとめにしたい”ということであれば、誰が始めても不自然ではないので一緒に作成できます。“もしも”は病気だけでなく自然災害も“もしも”ですから、老若男女問わず作成しておいたほうがいいため、話も切り出しやすいのではないでしょうか?
  
 

人生を共有するので「Life Share Note」

これまでのエンディングノートは、遺言書と遺書の中間的な役割とされているために希望が叶うともう見られることがないものになっています。これで寂しい気がします。
 
永六輔さんがこのようなことを言われてました。

人は二度死ぬ
一度目は個体的に死ぬ時
二度目は私という人間は常に誰かの思い出の中で生きている
それを思ってくれる人が一人もいなくなった時、
人は本当に死んだといえよう
  
 
また、漫画「ONE PIECE」にこんな一節があります。
 
人はいつ死ぬと思う?
重い病に侵された時? …違う!
銃弾で打ち抜かれた時? …違う!
猛毒キノコスープを飲まされた時? …違う!
 
人に・・・忘れられた時さ!
  
 
どういう人生を辿ったとしても、何かしら後の世のためになる情報はあるはずです。また、
人生に迷ったら自分のルーツを探るといい、という話を聞いたことがあります。自分の先祖がどうであったのか?それを知ることで何かヒントが得られるかもしれません。ですが、大半の家庭が先祖を探っても名前とふわっとした情報しかないような気がします。そこで、エンディングノートの少し進化させて、自分史であったり、作成した資料などもそのノートから見られるようにするのも面白いかと思います。人生を子孫にシェアする「ライフシェアノート」とでも言いましょうか、そんな形にしていけば人生も変わっていくような気がします。

 

「Life Share Note」のすすめ

時代が変化していくので過去の情報やスキルがそのまま活きるというわけではないですが、お墓やお葬式の話だけでなく、普段役立つ豆知識とか料理のコツなど先人がどうやっていたのかきちんと記録に残っていると次にやる人は楽なものです。大家族から核家族化になり、インターネットやスマホの普及により更に家族同士が話をする時間が減り、家族単位がどんどん小さくなっています。それだけに、何かしら子孫に伝えていく方法として「Life Share Note」をご利用されてはいかがでしょうか?


 


▼ どんな人?と思われたらぜひ。